医療法人晃仁会 フクロ歯科医院

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歯みがきの歴史を知ろう!

毎日お世話になる歯磨き粉。
今や、色々な色や味のものを選びたい放題ですよね。
そういえば、この歯磨き粉って、いつからあるのでしょうか。
今回はそんな歯磨き粉にまつわるお話です。
人類と歯痛の付き合いはいつ頃から?
歯磨き粉の基本的な役割は、歯を白くして口臭を消すこと。
この歯磨き粉、日本ではどうやら江戸時代あたりから製造・販売が盛んになったようです。
当時の歯みがき粉は陶土を水でこした上澄みの粒に香料を混ぜてつくられたものが多く、粒子は粗め。
歯のエナメル質が削られて、歯を磨くほどに脆くなる粗悪品もあったと言います。
現代と同じように、江戸時代にも様々な歯磨き粉が発売されました。
例えば、1625年に江戸の丁子屋喜左衛門が発売した「大明香薬」は、朝鮮伝来の製法を取り入れて売り出したもの。
当時の口中医(歯医者さん)の兼康祐悦が創業、現在も東京都文京区で商売を続ける「かねやす」からは「乳香散」という歯磨き粉が発売。
式亭三馬の滑稽本『浮世風呂』には「梅紅散」という商品名が登場しています。
歯みがき粉売りは江戸のエンターテイナー!?
江戸時代、歯磨き粉はどのように売られていたのか。
「歯みがき粉売り」という職業があったのだそうです。
引き出し付きの棚を肩にかけ、毎朝「おはよう、おはよう」と声をかけ路地を回り歩いたのです。
この「おはようの歯みがき粉売り」は、江戸末期には市中だけで数百人に上ったといわれます。
歯みがき粉売りは、江戸のちょっとした人気者だったようです。
「百眼米吉(ひゃくまなこのよねきち)江戸の花、梅勢散薬歯磨」とかけ声の威勢がよかった百眼米吉は、大恩寺前と書かれた箱と、目が描かれた半面がトレードマーク。
お寺の境内などでは、巧みな口上で人々の注目を引き、芸を見せて歯磨き粉を売る人たちもいました。
松井源水は浅草寺の界隈で独楽(こま)回しの曲芸を見せ、歯の薬と歯磨き粉を売っていました。
松井源左衛門や長井兵助は居合い抜きを見せて歯磨き粉を売るだけではなく、抜歯や入れ歯を作ることもしていたのだとか。
今で言うなら、歯磨き粉売りたちが自分たちでCMをしていたようなもの、なのかもしれませんね。